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2016年6月18日 (土)

「京劇白蛇伝2016」大阪公演の感想2

「京劇白蛇伝2016」大阪公演夜の部の感想2

私が何度か見たことのある京劇の『白蛇伝』は、たしか田漢という著名な作家がまとめ上げた脚本が元になっています。 人民中国になってから作られた脚本なので、他の演目と比較して、通しで上演するのにふさわしい、まとまりのある脚本です。

そのこともあって『白蛇伝』は今でも通しで上演されることが多いのですが、その場合、「断橋」の後に、白素貞が法力で塔の下に閉じこめられるが、その塔が壊れて白素貞が出てこれたところで終わるパターンと、塔に閉じこめられている白素貞の元に息子が科挙に合格したことを報告しに来る後日談がつくパターンがあります。後者は梅派から発展した張派の演目です。

しかし、観客の大半が中国語のできない日本の観客を相手に演じる日本公演では、中国と同じ時間での上演が厳しく、時間の短縮が求められます。 今回は時間的な制約もあって、「断橋」で終わったのでしょう。 ところが日本の観客は中国の観客に負けずとも劣らず、(人によっては中国人以上に)中国の古典的な文化を理解しており、中国の俳優側には、時間を短くした分、凝縮した舞台が求められます。ここが、海外公演でも、華僑向けの公演が多い北米での公演や、京劇の物語よりも演劇としての形式に興味を持つ観客の多いヨーロッパと異なる、日本公演の特殊性ではないかと思います。

十年前の三団の来日公演『三国志~諸葛孔明』や、その後の二団の『新作~水滸伝』、その後の一団の『鳳還巣』(通常は通しで約3時間ほどの舞台を『覇王別姫』の後に約半分の時間に短縮)などは、非常にうまく凝縮された舞台で見ごたえがありました。これらはいずれも民音の公演ですが、民音は三国志以前には、有名な演目を二つほど、短く演じる形式をとっていました。『三国志~諸葛孔明』以降、日本公演での演目の作り方を大幅に変えています。

同じく十年前の楽戯舎の上海京劇院の『楊門女将』は逆に通常の上演形式を伸ばして、AプロとBプロの二部構成にしていました。私は通常の上演形式の前半部分にあたるAプロを見ましたが、上海京劇院のベストメンバーによる舞台はとても充実したもので、今でもあの時の充実感を覚えています。2006年は京劇公演の大当たり年でした。

今回の、私が見た大阪の夜の部を振り返ります。 最初の出会い「遊湖」から、舞台は進みます。久しぶりに見る白蛇伝はやはり美しく、「歌舞伎もいいけど、やはり京劇も良いものだな」と思っていましたが、 何かどこかしっくり来ないなぁと思いながら見ていました。 しばらくすると、声の小ささに気づきました。演じ始めた当初は、喉が開ききっていないので、声が小さいことがよくあるのですが、次第にこれはわざと小さくしているのだと感じるようになりました。

私は今回、かなり前列に座っていました。チケットの購入が遅れて、既にいい席が残っていなかったからなのですが、あまりに端っこだったので前列に人がいなくて、舞台上の俳優の足の動きまで見ることができておもしろかったです。小さめのスピーカーがそばにありました。そんな席でも声が少し小さいと思ったのです。

日本の環境に暮らしていれば、その声の小ささは、最初は「聴き心地の良い」「聴きやすい」ものと感じました。 ところが次第に「舞台の小ささ」を感じるようになりました。 以前に見た一団の『鳳還巣』の時にはそのようなことは感じませんでした。私が見た2ステージの『鳳還巣』の主役は朱虹という、今回の白蛇伝の主役の付佳よりも若手で、経験値も知名度も低い女優でした。それでも彼女は大健闘していて、彼女の舞台に「小ささ」は感じませんでした。

三団の付佳はおそらくまだ二十代か三十前半だと思われますが、たしか、国家京劇院に入る前の上海戯劇学院の学生だった頃からテレビの大会に出るなど、実力のある人として有名で、しかも若さに似合わず、舞台での華や大きさのある女優さんなのです。 そして『白蛇伝』は彼女が国家京劇院に入団後何度も主役として、京劇の公演場所としては北京で一番良い、梅蘭芳大劇院で上演をしている演目で、彼女の代表作の一つでもあります。その彼女の舞台がこんなに「小さい」わけがないのです。

舞台は生ものです。出来不出来はあります。たまたま私が見たステージが、最後のステージということで気がゆるんだのかもしれません。しかし、その気がゆるんだステージを、よりによって私のような、日本のブログに感想を書き残したり、劇団関係者に文句を言ったりする人が見てしまいました。これは今回の公演スタッフにとって不幸なことかもしれません。

閑話休題。あとから聞いた話では、この「声の小ささ」は楽戯舎側の要望によるものなのだそうです。 私は、俳優達の声を小さくさせるのではなく、マイクの音量の方を調整すべきではないかと思います。 マイクという文明の利器がなかった時代は当然京劇の俳優は生の声で歌っていたそうです。それは今の日本の伝統芸能の公演に通じるものがあるでしょう。 しかし現在の京劇俳優、とりわけ一人っ子世代の若い俳優達で、生声で勝負できるひとは、全くいないわけではないと思いますが、皆無といっていいと思います。NHKホールのような大ホールでは無理です。ましてや公演は数週間続きます。

しかし、中国でやっているような、マイクをガンガン使った公演では、日本人には声が大きすぎます。ましてや白蛇伝の許生のような小生の甲高い声は、拒否反応すら出る可能性があります。 総じて、日本の伝統芸能の生声を聞き慣れた人も少なくないであろう、日本の観客の前での公演には工夫が必要となります。 楽戯舎が声を小さくと要望したのはそうした背景があってのことだと推測されます。 それは一理あると思います。 しかし、声を小さくすれば、俳優の演技も小さくなりかねません。白蛇伝の前半部分で舞台にどこかしっくりこない部分を感じたのは、そうした萎縮した舞台の小ささが原因ではないかと、私は感じています。

例えば、ジュースを100パーセントのままで出すか、半分程に薄めて出すか、ということに近いかもしれません。中国で見る舞台を、200ミリリットルの100パーセントのジュースとすると、日本公演では時間が短縮されて150ミリリットルになり、民音だとそれを出す。時間が短いだけで、どろっとした濃さはほぼ変わらず。

十年前の張建国さん(Bプロでは李文林さん)の諸葛亮の絶唱が日本で聞けたのは、京劇が本来何たるものかを日本の観客に知らしめた画期的な舞台だったと、今でも、いや今だからこそ強く感じます。

また民音の三国志や水滸伝の公演では、音楽の美しさを聞かせる場面がありました。これは150ミリリットルのジュースに、少しだけ中国らしいライチ果汁を加えるなど、中国での公演よりも中国らしさを少し加えて出すようなものかもしれません。

楽戯舎では「日本のおいしい水」を加えて半分に薄めたものを150mlにして出している、という感じかもしれません。果汁が薄くなれば確かに飲みやすく、風味も残っています。しかし薄くした分、本来の100パーセントの美味しさを知っている人にとっては味がぼけてしまいかねません。素材の良し悪しが余計にわかってしまいます。演者にとっては、かえって難しくなります。それが何らかの要因で演者が集中力に欠けた時、グダグダな舞台の出現に繋がったのではないかと、私は推測しています。

 

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