観劇記(京劇)

2017年4月 3日 (月)

2017年国家京劇院来日公演 京都公演 感想(追記あり)

『中国国家京劇院 愛と正義と報恩の三大傑作選』

201742日(日曜日)@ロームシアター京都(旧京都会館)

前回の一団の公演の時は京都会館が工事中で京都公演はありませんでしたが、改装後の今年は京都公演がありました。この日は向かいのみやこめっせでどこかの大学の入学式が開催されていたり、となりの平安神宮前ではよさこいのイベントが開催されていたりと、周りがとても賑やかでした。

国家京劇院のHPにも記事が出ました。最近は微信(日本で言うLINEのようなチャットアプリ)の方に早く記事が出るようになりました。

以下のページには神戸公演と京都公演の様子がレポートされています。

B組の『太真外伝』の写真が載っています。

【赴日巡演】神戸海潮弦歌伴 京都古畿遍知音

http://www.cnpoc.cn/contents/19/12867.html

以下のページには四国中国地方の各地の公演の様子がレポートされています。こちらにはA組の『太真外伝』などの写真が載っています。

【赴日巡演】中華国粋閃耀西日本

http://www.cnpoc.cn/contents/19/12846.html

【会場について】

新しくなった京都会館、もとい、ロームシアター京都は、天井につり下げられていた多数の六角形の板が外されて、落ちてこないは心配しなくてもよくなり、また悪評高かった音響がかなりましになっていたように思います。今回は昼の部は三階で見ましたが、音響は以前よりはマシになった感じです。前回の一団の公演会場だったびわ湖ホールや大阪のフェスティバルホールの方が音響は良かったと思います。

それより問題は、4階まで客席があるのにエレベーターが小さくて少なく、エスカレーターがない。階段もものすごく狭くて数も足りない。杖を片手に階段を一生懸命上ったり降りたりする高齢の方の姿を見かけました。前の建物の構造を残したままでの改築は制約もあったと思いますが、公演中に災害が起こればどうするのでしょう。完全な設計ミスです。

【演目とキャストについて】

今回の来日公演、驚いたことが二つあります。一つは中国の京劇の代表作の一つ『鎖麟囊』が上演されること。もう一つは于魁智と李勝素が『太真外伝』を上演することです。

『鎖麟囊』は京劇の人気演目の一つで、今でもよく上演されています。通しで上演される他に有名な歌だけが歌われることも多いです。ただ海外では梅蘭芳一人しかいないと勘違いされているかもしれないほど、梅蘭芳が突出していますが、実際には中国では梅派よりも、程派や張派の方が人気があるように思われます。

私が京都公演を見終わった一番の感想は、「三つの演目はしんどい」というものでした。

中国での京劇の需要と海外での需要とは大きく異なります。

中国での中華料理と日本での中華料理の違いに似ているかも知れません。日本だと中華弁当を買うとだいたい、鶏の唐揚げが入っているかも知れませんが、鶏の唐揚げは中国ではほとんど目にしません。その代わりにアヒルの肉や羊の肉など、日本ではあまり食べないお肉がよく食べられています。今回の『鎖麟囊』は中国人が大好きでもこれまで日本では食べられなかった羊の肉の料理なのかもしれません。しゃぶしゃぶみたいにして食べる羊肉は、本当においしいです。

今回の来日公演は、中華弁当でも、鶏の唐揚げに北京ダックが一切れ、そして羊の肉の炒め物が入った中華弁当は、いろんな味が楽しめる分、お得感はありますが、それぞれの味がバラバラで統一感がなく、お弁当として一気に食べるよりも、お肉料理は一つにした方が良かったように思います。

中国でも最近はファストフード店がお弁当の出前をやっていて電話一本で職場までデリバリしてくれるサービスもあります。そういうのはやはり肉系のおかずがどんと一品、お野菜系がその半分ぐらいの量、という感じです。

今回の演目は三つはやはり多すぎます。前回のように二つにするのが、精一杯だと思います。歌舞伎のように3時間できるのならともかく、2時間という時間の制約がある以上、三つの異なる演目を上演するのは見ている側としてはその世界を理解するので精一杯で、疲れました。京劇を見慣れている私が疲れたのです。京劇を見慣れない人はどう思ったのでしょうか?

今回なら、昼の部で『金銭豹』と『太真外伝』、夜の部で『金銭豹』と『鎖麟囊』という形にできなかったのかと思います。

前回の一団の公演の状況から、今回も配役がダブルキャストであることは予想していました。

十年ほど前の三国志の三団の公演でもダブルキャストだったのですが、あの時は歌ばかりの場面が40分以上続くので仕方ありません。また主役諸葛亮役が三団の一番手と二番手の老生が順番に歌うという形で、ある意味で納得できるものでした。また趙雲役の俳優さんが怪我をされたので、途中で趙雲役も若手(といっても本役の俳優さんより人気のあったイケメン俳優)と交互にやっていたりと、諸葛亮以外の配役も変わっていたそうなので、配役は前もってHPで知らせておいて欲しかったと思います。

一団の場合、三団と異なり、ダブルキャストの俳優の落差が激しすぎるので、前回の私のように外れたときの落胆ぶりは半端ないのですが、今回は日曜日に関西で昼の部と夜の部が行われる日に観劇に行けましたので、AB組(仮にこう呼びます)の両方のキャストを見ることが出来ました。

*『金銭豹』

「西遊記」の物語ですが、主役は「金銭豹」という豹の化け物で、臉譜という顔のペインティングをした豹の化け物と孫悟空との立ち回りを見る演目です。

手のひらや手の甲で槍を回す場面はしっかり御覧下さい。

劉魁魁という中堅の有名な俳優さんがA組で安定した演技を見せていますが、B組の張志芳という俳優さんもはじめて見ましたが、かなり良かったです。昼も夜もこの演目が一番盛り上がっていました。

*『太真外伝』

『金銭豹』が終わるとすぐに説明が始まって、全く別の物語が始まります。

前回の一団の公演の時から、芝居が始まる直前にプロジェクターで簡単にあらすじを説明するようになったのですが、その時に使われている写真はA組の写真なんです。『金銭豹』のような顔一面に模様を描く演目だと、主役が誰でもわからないのですが、『太真外伝』となると実年齢もキャリアも落差が激しすぎて、いくら何でも別の人がやっているのはわかるだろうという感じでした。どうせダブルキャストでやるのなら、A組B組両方の写真を撮っておいて、それぞれの公演で分けて使うべきです。

私が前回の公演で見れなかった、于魁智と李勝素をとうとう日本で見ることができました。以前からご紹介していますが、この二人はここ十年以上京劇界のトップのペアとして有名です。于魁智は老生の中でもダントツの人気を誇り、名実ともにトップの京劇俳優です。李勝素は梅派青衣のトップに君臨し続けている女優さんです。

この二人の『太真外伝』の生の舞台が日本で見られるというのは、たとえて言えば、仁左玉の舞踊が海外で見られるというようなものです。

だからダブルキャストで、この二人がどの公演に出てくるのかがわからないというのが非常にストレスになります。

京都公演の場合、昼の部がこの二人でした。夜の部は、私だけでなく、中国人の京劇ファンが「それ誰?」というような、数年前に国家京劇院に入団した若手がやっていました。歌舞伎で言うと、御曹司ではないが名題試験に合格したばかりの俳優さんが仁左玉の代わりに舞踊を踊るようなものです。実力はあるのでしょうが、ダブルキャストの相手がわるいというものです。

一団は前回の『鳳還巣』の時も同じようなことをやっていて、私は抗議をしたのですが、その抗議も空しく、今回も同じ事、というか演目が演目なだけに、余計にひどいことになっています。せめてチケットを売り出す前にHPに配役表の予定を出すとかしないと。一団の言いなりであることは予想されますが、民音ももう少し強く一団に言えないのでしょうか。

私は、于魁智の歌い方のクセがあまり好きではないのですが(新編劇のような歌い方を伝統劇でもするのです)、彼のカリスマ性は京劇俳優の中でも突出しています。李勝素の実力もやはり突出しています。

B組で玄宗皇帝を演じた劉塁という老生は無名の俳優さんです。ときたま于魁智の歌い方が少し入ったような歌い方がありましたが(指導を受けているのでしょう)、基本的に中国戯曲学院の出身者(余派なのかな?)らしい歌い方をしていました。

B組の楊貴妃は朱虹という、前回の『鳳還巣』でも李勝素の代わりをやっていた若手の女優がやっていました。彼女は前回の日本公演が終わってから北京でも主役をやるようになった女優さんです。彼女は次の『鎖麟囊』でも重要な役をやっているので、B組の公演のカーテンコールでは楊貴妃と玄宗皇帝は登場しません。

『太真外伝』の舞台そのものは、ほんの一部の長生殿の場面だけを演じるのですが、いくら今の中国の京劇俳優の中で、これ以上の配役はないという組合わせで演じていても、賑やかな立ち回りの『金銭豹』が終わってすぐに始まり、十分ほどで終わるので、やはり唐突に始まり唐突に終わるという印象をぬぐえません。せめて三十分ほどは見れないものかと思ってしまいます。

最後の照明の色はあんなに濃くしない方がいい。かえっていやらしく見える。

それと、今回の字幕がちょっと良くない。短い『太真外伝』でも訳がちょっと気になりました。

ラストの歌を以下の動画の字幕を頼りに意味を適当に考えてみると以下のようになります。

http://v.youku.com/v_show/id_XNDk2Njk0NTQ0.html?f=19469366

楊貴妃の最後の歌「金のかんざしと螺鈿の小箱をたまわり、私は一生お側にお仕えいたします(此生守定)」ぐらいじゃないかなぁ…

『鎖麟囊』

たいへん人気のある演目で、特に「春秋亭外」の歌はそこだけカラオケのように歌われる、鉄板の歌です。中国では梅派よりも程派の方が人気があるように感じます。ただ海外ではあまり上演されてきませんでした。

北京で初めてこの演目を見た時、こんな歌い方をする京劇もあったのかと、カルチャーショックを受けましたが、日本でこの「春秋亭外」の歌を聞けたことは、私にとっても感慨深いものがありました。

中国国家京劇院の来日公演では、『三国志諸葛孔明』や『水滸伝』は前々院長で劇作家の呉江氏が来日公演のために書き下ろした作品でした。既成の作品のいいとこ取りという感じでしたが、やはり「さすが」とうならせる部分はありました。

前回の『鳳還巣』や今回の『鎖麟囊』は中国の定番演目を外国人向けに三分の一に縮めるという難しい作業です。本来は二時間以上、昔なら三時間ぐらいやっていた舞台を一時間にするのですから、どうしても細かい描写がそれぞれ三分の一になっている感は否めません。

『鎖麟囊』では、最初の、主人公が刺繍がどうこう言って使用人を困らせたりするのは、主人公がワガママというよりは結婚式を明日に控えたマリッジブルーな心境を描くためです。それをお母さんが出て来て、大切にしてきた宝物を持たせることで娘の気持ちを少しずつほぐしていく。そうした【かわいがられて育ったお嬢様】を描くのが最初のポイント。それが結婚式の前に雨宿りで、みすぼらしい嫁入りに泣いている人を見て、そのお母さんが丹精込めて持たせてくれた鎖麟囊を見ず知らずの他人にそっくりあげてしまう気前の良さと人の良さに、このお嬢様が単なるワガママなお嬢様ではないことがわかります。

そして嫁ぎ先でも何不自由なく暮らしていたところに洪水が起こり、一家離散、主人公は使用人のおばさんと二人きりで難民生活をおくることになります。

このあたりの場面は全て使用人のおばさんの説明、しかもいきなり日本語の説明で処理していましたが、日本語で説明するにしても耳の不自由な観客のために字幕は出すべきです。また一家離散、特に、一人息子と離れてしまうところ等は実際に演じながら字幕で処理する方が良かったのではないかと思います。

ここをしっかりやらないと次の乳母になるところが薄くなるんです。一人息子と別れた悲しみをもう少し描いて欲しかった。

最後に、恩を受けた奥方が自分の恩人ではないかと少しずつ気づき始めて、服をどんどん良い服に着替えさせる場面も一回しか着替えさせていませんでしたが、本当は二回着替えさせます。このあたりの処理は仕方ありませんが、もう少し字幕で細かいニュアンスを出して欲しかった。

A組の呂耀瑤も若手ですが、中国の公演でも少しは名前が出る女優さんです。国家京劇院で程派の『鎖麟囊』といえば3団か2団の演目で、1団がやることはあまりありませんが、1団が『鎖麟囊』をやるとすれば呂耀瑤が主役という感じです。程派の中ではクセのない普通の歌い方をします。北京京劇院の遅小秋を思い出しました。

http://v.ku6.com/show/uFQ5G21b92oSrniloO2E_A...html

B組の張文頴は劉塁クラスの若手です。程派青衣のカリスマ的な人気を持ち、もとは国家京劇院にいたのですが、今は中国戯曲学院で教授になっている張火丁に似た歌い方や化粧の仕方だと感じました。プログラムを見たらやはり張文頴は張火丁にも習っていたようです。

【A組とB組の配役の違い】

『金銭豹』は立ち回りが主です。臉譜の美しさは花臉である劉魁魁の方がいいと思いますが、武生である張志芳もきびきびした立ち回りを見せていましたし、どちらで見ても良いと思います。『鎖麟囊』はA組の呂耀瑤の方が一日の長がありますが、張文頴が悪いというわけではありません。

『太真外伝』はどうしようもありません。于魁智と李勝素に対抗させるなら、いっそのこと女性の老生と男性の青衣に玄宗と楊貴妃をさせるぐらいの趣向でないとダメだと思います。

国家京劇院には劉錚(玉三郎さんと牡丹亭で共演した女形の俳優の一人)がいます。梅派ではありませんが、梅派から発展して出来た張派なので、梅派でも大丈夫だと思います。女性の老生は上海に多いのですが、北京にもいないわけではありません。

【最後に】

ここまであれこれ書きましたが、『鎖麟囊』を二ヶ月の巡業公演で上演させるということは偉業だと思います。中国国内でもできません。中国国内でできないことを外国の日本でやっているのです。素晴らしいという言葉では表現できないほどすごいことなのです。

私のような、配役を公表しろとかいう変な観客はほんの一部で、大半の観客は李勝素と言われてもさっぱりわからないというのが、本当のところだと思います。それでもせっかくの偉業を少しでも良くしたいと思ってしまうのが、ファンの性というものです。

民音の観客の大半を占める、おばさまおじさまは見た目は普通のおばさまおじさまですが、世界の芸能や音楽に触れている方々だというのは民音のHPを見ればわかります。たとえば歌舞伎だけとか偏った観劇歴ではないはずです。そのような、世界の芸能や音楽に触れている方々は一流のものはおわかりになります。それは、観劇後に観客からもれてくる感想を耳にすればわかります。

だから運営側も、ダブルキャストをしっかりと説明して公表するべきなのです。国家京劇院に、ダブルキャストの配役に差をあまりつけすぎないように注文をつけるべきなのです。

次は是非、劉錚さんの『覇王別姫』か、張建国さんの『趙氏孤児』を呼んで下さい。

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2016年6月18日 (土)

「京劇白蛇伝2016」大阪公演の感想2

「京劇白蛇伝2016」大阪公演夜の部の感想2

私が何度か見たことのある京劇の『白蛇伝』は、たしか田漢という著名な作家がまとめ上げた脚本が元になっています。 人民中国になってから作られた脚本なので、他の演目と比較して、通しで上演するのにふさわしい、まとまりのある脚本です。

そのこともあって『白蛇伝』は今でも通しで上演されることが多いのですが、その場合、「断橋」の後に、白素貞が法力で塔の下に閉じこめられるが、その塔が壊れて白素貞が出てこれたところで終わるパターンと、塔に閉じこめられている白素貞の元に息子が科挙に合格したことを報告しに来る後日談がつくパターンがあります。後者は梅派から発展した張派の演目です。

しかし、観客の大半が中国語のできない日本の観客を相手に演じる日本公演では、中国と同じ時間での上演が厳しく、時間の短縮が求められます。 今回は時間的な制約もあって、「断橋」で終わったのでしょう。 ところが日本の観客は中国の観客に負けずとも劣らず、(人によっては中国人以上に)中国の古典的な文化を理解しており、中国の俳優側には、時間を短くした分、凝縮した舞台が求められます。ここが、海外公演でも、華僑向けの公演が多い北米での公演や、京劇の物語よりも演劇としての形式に興味を持つ観客の多いヨーロッパと異なる、日本公演の特殊性ではないかと思います。

十年前の三団の来日公演『三国志~諸葛孔明』や、その後の二団の『新作~水滸伝』、その後の一団の『鳳還巣』(通常は通しで約3時間ほどの舞台を『覇王別姫』の後に約半分の時間に短縮)などは、非常にうまく凝縮された舞台で見ごたえがありました。これらはいずれも民音の公演ですが、民音は三国志以前には、有名な演目を二つほど、短く演じる形式をとっていました。『三国志~諸葛孔明』以降、日本公演での演目の作り方を大幅に変えています。

同じく十年前の楽戯舎の上海京劇院の『楊門女将』は逆に通常の上演形式を伸ばして、AプロとBプロの二部構成にしていました。私は通常の上演形式の前半部分にあたるAプロを見ましたが、上海京劇院のベストメンバーによる舞台はとても充実したもので、今でもあの時の充実感を覚えています。2006年は京劇公演の大当たり年でした。

今回の、私が見た大阪の夜の部を振り返ります。 最初の出会い「遊湖」から、舞台は進みます。久しぶりに見る白蛇伝はやはり美しく、「歌舞伎もいいけど、やはり京劇も良いものだな」と思っていましたが、 何かどこかしっくり来ないなぁと思いながら見ていました。 しばらくすると、声の小ささに気づきました。演じ始めた当初は、喉が開ききっていないので、声が小さいことがよくあるのですが、次第にこれはわざと小さくしているのだと感じるようになりました。

私は今回、かなり前列に座っていました。チケットの購入が遅れて、既にいい席が残っていなかったからなのですが、あまりに端っこだったので前列に人がいなくて、舞台上の俳優の足の動きまで見ることができておもしろかったです。小さめのスピーカーがそばにありました。そんな席でも声が少し小さいと思ったのです。

日本の環境に暮らしていれば、その声の小ささは、最初は「聴き心地の良い」「聴きやすい」ものと感じました。 ところが次第に「舞台の小ささ」を感じるようになりました。 以前に見た一団の『鳳還巣』の時にはそのようなことは感じませんでした。私が見た2ステージの『鳳還巣』の主役は朱虹という、今回の白蛇伝の主役の付佳よりも若手で、経験値も知名度も低い女優でした。それでも彼女は大健闘していて、彼女の舞台に「小ささ」は感じませんでした。

三団の付佳はおそらくまだ二十代か三十前半だと思われますが、たしか、国家京劇院に入る前の上海戯劇学院の学生だった頃からテレビの大会に出るなど、実力のある人として有名で、しかも若さに似合わず、舞台での華や大きさのある女優さんなのです。 そして『白蛇伝』は彼女が国家京劇院に入団後何度も主役として、京劇の公演場所としては北京で一番良い、梅蘭芳大劇院で上演をしている演目で、彼女の代表作の一つでもあります。その彼女の舞台がこんなに「小さい」わけがないのです。

舞台は生ものです。出来不出来はあります。たまたま私が見たステージが、最後のステージということで気がゆるんだのかもしれません。しかし、その気がゆるんだステージを、よりによって私のような、日本のブログに感想を書き残したり、劇団関係者に文句を言ったりする人が見てしまいました。これは今回の公演スタッフにとって不幸なことかもしれません。

閑話休題。あとから聞いた話では、この「声の小ささ」は楽戯舎側の要望によるものなのだそうです。 私は、俳優達の声を小さくさせるのではなく、マイクの音量の方を調整すべきではないかと思います。 マイクという文明の利器がなかった時代は当然京劇の俳優は生の声で歌っていたそうです。それは今の日本の伝統芸能の公演に通じるものがあるでしょう。 しかし現在の京劇俳優、とりわけ一人っ子世代の若い俳優達で、生声で勝負できるひとは、全くいないわけではないと思いますが、皆無といっていいと思います。NHKホールのような大ホールでは無理です。ましてや公演は数週間続きます。

しかし、中国でやっているような、マイクをガンガン使った公演では、日本人には声が大きすぎます。ましてや白蛇伝の許生のような小生の甲高い声は、拒否反応すら出る可能性があります。 総じて、日本の伝統芸能の生声を聞き慣れた人も少なくないであろう、日本の観客の前での公演には工夫が必要となります。 楽戯舎が声を小さくと要望したのはそうした背景があってのことだと推測されます。 それは一理あると思います。 しかし、声を小さくすれば、俳優の演技も小さくなりかねません。白蛇伝の前半部分で舞台にどこかしっくりこない部分を感じたのは、そうした萎縮した舞台の小ささが原因ではないかと、私は感じています。

例えば、ジュースを100パーセントのままで出すか、半分程に薄めて出すか、ということに近いかもしれません。中国で見る舞台を、200ミリリットルの100パーセントのジュースとすると、日本公演では時間が短縮されて150ミリリットルになり、民音だとそれを出す。時間が短いだけで、どろっとした濃さはほぼ変わらず。

十年前の張建国さん(Bプロでは李文林さん)の諸葛亮の絶唱が日本で聞けたのは、京劇が本来何たるものかを日本の観客に知らしめた画期的な舞台だったと、今でも、いや今だからこそ強く感じます。

また民音の三国志や水滸伝の公演では、音楽の美しさを聞かせる場面がありました。これは150ミリリットルのジュースに、少しだけ中国らしいライチ果汁を加えるなど、中国での公演よりも中国らしさを少し加えて出すようなものかもしれません。

楽戯舎では「日本のおいしい水」を加えて半分に薄めたものを150mlにして出している、という感じかもしれません。果汁が薄くなれば確かに飲みやすく、風味も残っています。しかし薄くした分、本来の100パーセントの美味しさを知っている人にとっては味がぼけてしまいかねません。素材の良し悪しが余計にわかってしまいます。演者にとっては、かえって難しくなります。それが何らかの要因で演者が集中力に欠けた時、グダグダな舞台の出現に繋がったのではないかと、私は推測しています。

 

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2016年6月15日 (水)

「京劇白蛇伝2016」大阪公演の感想1

6月11日(先週土曜日)に中国国家京劇院来日公演『京劇白蛇伝』の大阪公演がありました。 私は夜の部5時から、つまり来日公演の最終ステージを見ました。

最初に強調しておきますが、私は楽戯舎が長年にわたり京劇の公演を継続して行い、日本において毎年京劇の公演が行われる状況を作ってくださったことや、また毎回、中国を代表する京劇団を招聘しておられることに強く敬意の念を抱いております。 であるからこそ、今回の国家京劇院の公演の千秋楽があのような悲惨な公演であったことをとても残念に思います。

そうなのです。私がこれまで見てきた京劇の舞台の中で一二を争うほどの悲惨な舞台でした。 悲惨というより、「ぐだぐだ」といった方が適切だと思います。特に「ぐだぐだ」だったのは立ち回りです。私が十数年前に何回か見た当時の『白蛇伝』と比べると、立ち回りがかなり少なかったのですが、それでもカツラが取れるというレアな失敗が1回、ズボンのひもがゆるんだのか、ズボンが脱げそうになるという超レアな失敗が1回ありました。

この週末、この感想を書くべきかとても悩みました。このようなことをネット上に書くことに、京劇ファンの一人として、ためらいを感じます。 しかし、やはり書くことにしました。

俳優たちはほとんどが若手ですが、彼らに技量がないわけではありません。若手には若手の良さがあります。しかも今回の来日公演の俳優達は北京ですでに何回も『白蛇伝』を公演して、中国人の若いファンからも好評を博している人たちです。現に大阪の二回目の公演でも、ぐだぐだだった立ち回りの後の「断橋」では、彼らの力をしっかりと見せてくれて、私は一観客として救われた思いがしました。

国家京劇院としても力を抜いていたわけではありません。数年前の二団の公演(「長坂坡」等)の時のように、団長の李海燕が途中で北京に帰ったりしていません。通常なら途中で帰ってしまうことの多い幹部も今回は陳櫻副院長が帯同、また三団の団長である張建国さんも帯同して、若手の公演をバックアップするという万全の体制を取っていた模様です。 しかし、ぐだぐだな舞台が出現してしまいました。

その原因は一にも二にも俳優たちにあります。主役の三人に大きなミスがあったわけでなく、例えば、野球の試合でバッテリーが失点を何とか3点までで抑えていたのに、外野がエラーを連発して敵に大量得点を許してしまったかのような、主役からすれば、ちょっと気の毒な舞台でした。ただし、主役が舞台上にいた全ての時間で、懸命だったかといえばそうともいえないような感じもします。

楽戯舎の以前の来日公演でも、舞台の質が悪かったという話を聞いたことがあります。 日本公演は中国での公演と異なり、昼と夜の一日二回公演が多いから疲れが出たとみる見方もあるでしょう。しかし、もっと長期間で日本全国を巡業する超ハードな民音の公演では、多少のミスはあっても、このようなグダグダな公演を少なくとも私は見たことも聞いたこともありません。

残念ながらこの数年、北京での公演でも時たま質の悪い舞台があると、耳にするようになりました。それは多分にして中国の一人っ子世代が四十代に突入し、舞台の中心となる世代が三十代という、一人っ子が当たり前の世代になってきたことと関わりがあるのかもしれません。質が悪いとまではいかずとも、京劇界全体の俳優の技量の低下は著しいものがあり、その現状が図らずも露呈してしまったという見方もできると思います。しかしそれは全く言い訳にはできません。

なぜこうなってしまったのか。その原因をさぐることはできないか。そんな思いでいっぱいです。 今後、無い脳みそをひねって、考えてみたいと思います。

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2013年6月13日 (木)

京劇三国志『趙雲と関羽』感想2

京劇三国志『趙雲と関羽』感想2 脇役を中心に

今回の来日公演は、趙永偉がもといた国家京劇院二団がベースとなっていて、趙永偉以外は二団の俳優で構成されています。わかりやすくいいますと、2009年の民音来日公演「京劇水滸伝」の来日メンバーが多く参加しています。

その中では曹操の魏積軍が良かったです。曹操も関羽と並んで難易度の高い役で、合わない人がやると見ていられなくなるのですが、魏積軍は違和感なかったです。魏積軍は国家京劇院の中でも、現在二団のトップ俳優なのですが、トップになりきれていない俳優の一人です。国家京劇院の現役の花臉の俳優には、突出した実力と人気を持った俳優がいないので、彼は実力よりも、回ってくる役に恵まれている印象がありますが、今回はどんどんと唱が良くなって来た感じがあります。これを機会にスター性を身につけて、大きく飛躍してほしいと思います。

劉備をやっていた黄炳強も、トップでありながらトップになりきれていない「1、5級」の俳優の一人です。ルックスは恵まれていると思うので、もったいないなぁといつも思います。今回は、悪くはなかったのですが、マイクを使っていないのではないかと思うぐらい、彼の時だけ声の大きさが不安定でした。他の人はマイクを使っている声だったので、彼だけが使っていないのはおかしいと思ったのですが、最終公演で疲れていたのかもしれません。

今回、琴師(京胡を弾く人)が、国家京劇院の現役世代ではトップの趙建華が来ていたようです。(「ようで」と書くのは、楽団が黒い小屋のようなもので覆われていて、全く見えなかったから。毎回思うのですが、中国での公演のように、楽団を見せてほしい。楽器に興味を持っている人も多く、また生で演奏していることがわかるので、その方がいいと思います)

魏積軍の唱がどんどん良くなっていったのも、趙建華の演奏によるところが大きかったのではないかと思います。特に目立ったところがない弾き方でしたが、堅実な弾き方だったのかもしれません。

夏侯恩などを演じる「丑」は、徐孟珂が来るかと思っていたのですが、彼より若手の金星が来ていました。趙雲を倒す絶好の機会、というところを「今でしょ!」と今年風に訳していたので、場内の爆笑を誘っていました。あそこはそれほど笑う場面ではないので、俳優さんは少しやりにくかったかもしれません。

訳文は全体にそれだけ読んでいて意味がわかるのかという程度だったのですが、あそこだけやたらとこなれていて、浮いていました。でも私はあれでもいいと思います。

劉大可が張郃をやっていました。彼の武芸はさすがで、彼だけ背中に旗をさしたまま横に一回転するのではなく、バク転する形で一回転していました。あそこで拍手して欲しかった……

来日公演には時間の制約があるから、全体的に少し省略されていて、馬丁の動きも省略されていました。靳智棋という若手の良い俳優さんがやっていたので、日本の観客も好きだろうし、通常版ぐらいにクルクル回って欲しかったです。

カーテンコールの時に客席で、国家京劇院の宋院長が記録用の写真を取っておられました。国家京劇院の院長というのはとても偉いポストだと聞いたことがありますが、宋院長は院長になってもご自分で雑用までいろいろとこなしておられるのだなと感心しました。

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2013年6月11日 (火)

京劇三国志「趙雲と関羽」大阪公演 感想1

京劇三国志「趙雲と関羽」

 2013年6月8日土曜日 夕方4時の部
 楽戯舎の京劇公演は大阪が最後になるので、私の感想を参考にして見に行こうと思っても、もう公演は終わっている、という状態になり、申し訳なく思います。

 「趙雲と関羽」という題名は馴染みがありませんが、『長坂坡』『漢津口』と言えば、あらすじは見えてきます。劉備軍が曹操軍に追われて、劉備の二人の夫人と劉備の息子阿斗が劉備からはぐれ、趙雲が必死の捜索で甘夫人は助けるも、傷を負った糜夫人は身を投げ、阿斗のみを助け出し、なおも追ってくる曹操軍に対して、夏口から関羽がやってきて撃退し、劉備達は夏口に入る、というところで幕、赤壁の戦いの前段階となる物語を描きます。
  『長坂坡』『漢津口』と続けて上演される場合の見所は、邦題にもなっているように主役の武生が趙雲と関羽の二役を演じ分けることで、特に主役としての関羽は、京劇俳優として相当の地位にいないと演じられない役という印象があります。
『長坂坡』最大の見せ場は、糜夫人が井戸に身を投げる場面です。通常は、趙雲が引き留めようとするが、間に合わないという情景を、趙雲が糜夫人の黄色い上着を 一瞬で引っ張り取り、糜夫人は井戸に見立てた椅子(あるいは数段の台)に昇って下りて、舞台袖に引っ込むという形で表現します。あっという間に終わるもので、よく見ていないと気がつかないものですが、前もって知識があると、逃さずに見られます。非常に鮮やかな場面です。糜夫人は後ろに長い髪をつけているのですが、それをものともせずに、一瞬で鮮やかに黄色い上着だけを取るので、そこには、いろいろ技が凝縮されているのだと思います。


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(2012年2月 北京での北京京劇院の公演『長坂坡』 王雪飛の趙雲 彼は北京京劇院の武生では2、3番手ですが、1番手の俳優よりも良かったです)

 それで今回の来日公演ですが、この二つの見所のうち、一つはとても良かったと思います。趙永偉は『長坂坡』を得意とする武生ですが、私はこれまで彼が『漢津口』をつけてやった公演の情報を知らず、他の役でも関羽をやっていなかったように思うので、今回大変楽しみにしていました。趙雲が良いのは言うまでもありません。この数年若手の武生の舞台で、足が100度ぐらいまでしか上がっていないのがあって、随分がっかりしたものですが、趙永偉はさすが毎回120度ぐらいまであげていました。
 趙雲などを演じる「大武生」と呼ばれる武生の立ち回りは、孫悟空の立ち回りとは全く違って、舞踊的な大きさ、美しさがあるのですが、趙永偉はそうした立ち回りの時に、意識的に「ため」ていたように思います。私が見たのは全公演の最終公演だったのでお疲れだったのかもしれません。槍さばきなどは、昔に比べると、ちょっと見劣りした部分もありましたが、そこはこうした「ためた」演技で補っていたように思います。ためるのもある意味で槍さばきの素早さよりも難易度が高いと思うのですが、毎回の動作に惜しげもなく全力で取り組んでいるのだということが見て取れました。ただためていた分、趙雲の若さは幾分割り引かれたかもしれません。
圧巻は最後の関羽の場面。趙雲役者のイメージの強かった趙永偉の関羽を当初あまり想像できなかったのですが、立派でした。昔よりも貫禄がついたことが関羽を演じる上ではプラスに作用したのでしょう。私が好きな、目を細めるタイプの演じ方で、きれいでした。今の趙永偉の立場を考えると、今後この演目を再演する可能性は極めて低いと思われるだけに、これが見れただけでも、見に来た甲斐があったというものです。欲を言えば馬丁の立ち回りが省略されていたように見えたので、そこは省略せずに通常の公演のバージョンでやって欲しかったです。若手の武丑の良い俳優さんが来ていたのですし、日本の観客は特にそういうのが好きですから。

 残念だったのが二つ目の見所。今回の公演で不思議に思ったのが、先程『長坂坡』最大の見せ場と書いた、糜夫人が井戸に身を投げる場面が、通常の演じ方と違って、井戸に見立てた椅子の上で一度止まってから、椅子を降りて舞台袖に退場するという形だったことで、本当にがっかりしました。私が見た大阪公演だけでなく、東京で李海燕が糜夫人をやっていた時も同じように演じていたそうですので、このイレギュラーな演じ方は今回の公演のための演出かと想像されます。しかしいったん止まるので、もちろん上着はきれいには脱げず、髪を前に持ってきてから脱ぐ準備をして、よっこいしょという形で脱ぐ、という無様なことをやっていました。どうしてこのような形にしたのでしょうか。趙雲役者の趙永偉が上着を引き抜けないはずはないので、敢えてそうしたのでしょうが、最初は失敗したのかと思いました。とても興ざめしました。

(2に続く)

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2012年4月 8日 (日)

2012年3月27日 国家京劇院 黄佳・顧謙『将相和』

3月27日 梅大 国家京劇院三団
『将相和』 黄佳の藺相如  顧謙の廉頗 

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顧謙は若い俳優が多い三団の中で今や中堅に入ったと言っても良い実力派俳優で、これまでなぜか主役をやる機会には恵まれていなかったが、脇役でも重要な役をいくつもこなしてきた。昨年か一昨年、尚長栄の弟子となってから、芸の幅を広げているのか、今回は廉頗に挑戦しています。

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廉頗は前半少しだけ出てから、主に後半にしか出ないのですが、将軍としての大きさを表すと同時に唱も聞かせないといけない、難易度の高い役で、顧謙は少し緊張していたのか、唱の部分で何回か声が途切れることがありましたが、それ以外は、大きさを感じさせる演技は立派で、今後何度か演じればきっとものにできると感じました。国家京劇院は花臉が少ないので是非ともものにしてほしいと思います。

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【黄佳(右)、王璐(左)】

 黄佳は、有名な武生だった祖父から数えて三代続く梨園一家の出で、顔つきが古風で、背の高さや体格も立派で、舞台映えがする。外見的な条件は整っている彼がいまいち抜け出ないのは、老生として肝心の唱の部分はまだ発展途上だからで、今回、彼が特に難しい『将相和』に挑戦すると聞いて心配していたのですが、以前よりは随分とうまくなったように思いました。また建国さんの弟子になってから、奚派の歌い方も勉強しているようで、それまでの歌い方(彼は中国戯曲学院の出身なので、私にはどの派とは見分けがつかない一般的な歌い方をしているように聞こえるが、この日の歌い方は、どちらかというと余派の歌い方に近いように聞こえた)で唱う部分もあれば、奚派の歌い方で唱う部分もあり、自分の歌い方を模索中なのだと思われました。良い声が出ている時もあれば、うまく出ていない時もあり、これが自分なりの歌い方を確立して、全体的に良い調子で唱えるようになれば、相当良くなると思いました。今後が楽しみです。

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特に黄佳は今回が梅大での初めての主役の舞台だったと思われ、毎晩数カ所で観光客向けの京劇公演をしている北京京劇院に比べて、国家京劇院の俳優達は主役をはる舞台の機会がとても少なく、それが若手俳優の育成の大きな壁になっているようで、今回の3月の一連の公演は、採算を度外視して若手を育てようという国家京劇院の意思が見て取れて、とても好ましく思いました。たとえば実験劇場ぐらいの小さい劇場で、若手や中堅の公演が毎週末見れるぐらいにまで公演数が増えれば、黄佳の舞台も、黄佳だけではなく、他の俳優さんの舞台も絶対に良くなると思います。

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2012年4月 3日 (火)

2012年3月16日 天津中華劇院 天津市青年京劇団『盗仙草』『撃鼓罵曹』『寿州救駕』(『女殺四門』)[追記あり]

3月16日 天津 中華劇院

天津市青年京劇団 李洋 専場 

第五期中国京劇優秀青年俳優研究生班 卒業公演

『盗仙草』 李洋の白素貞

『撃鼓罵曹』 張克の禰衡、楊光の曹操、盧松の張遼

『寿州救駕』(『女殺四門』) 李洋の劉金定、馬連生の趙匡胤

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 以前から天津で京劇を見てみたいという気持ちはありましたが、北京から近くて遠い天津、これまで見に行く機会がありませんでした。最近は北京や上海以外の都市での公演情報もネットで公開されるようになって、日本から行くのも計画が立てやすくなりました。 15日に北京について16日に天津というかなりの強行軍でしたが、張克は今一番乗っている老生の一人で、2月の公演も非常に良かったという話を聞いていました。『撃鼓罵曹』という演目も一度は見てみたいと思いながら、なかなかかからないので、見る機会がないまま現在に至っていたので、思い切って天津に行きました。行って良かったです。

 天津の劇場は、北京の劇場のように、外見ばかりが派手で音響がめちゃくちゃということもなく見た目は普通の劇場で、チケットの値段も一番上が100元という、北京の十数年前の値段というのが、とても好ましく思えました。チケットが実際の物価からして妥当な値段なので、売れ残ったチケットを招待券として回す必要もなく、実際に見たい人が見に来ているという印象を持ちました。劇場はほぼ満席だったように思います。CCTVのカメラが入っていたので動員がかかった可能性もあり、観客のうちで、実際にどれだけの人がチケットを自分で買って来ているのかは、わかりませんし、おそらく招待券も出ていたと思われますが、北京の観客と違う点は、みんなお芝居をわかっている人が見に来ているという点で、拍手やかけ声が舞台とぴたっと合っていて、気持ちが良かった。こういうところは往年の人民劇場を思わせるものでした。

まず、真ん中の『撃鼓罵曹』から。今回天津に行ったのは、これを見るためだったのですが、張克は素晴らしかった。普通は一つの演目の唱の中には、ちょっと声が本調子でないところとか、抜けるようなところが、数回はあるものなのに、今回の張克にはそれが全くなく、最初から最後まで絶好調で、唱に全く欠点がない。天津市青年団が『覇王別姫』で来日した頃はちょうど喉の不調が伝えられていた頃だったのですが、その後回復したそうで、実際に生で聞いて、その好調ぶりがよくわかりました。

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そして更にすごかったのが会場の反応。会場が張克の素晴らしい声にいちいち反応して、「ハオ」というかけ声だけでなく、「フイ」というのか、日本語ではなんとも書きようのない、うなり声のような声もたびたびかかり、会場のボルテージがどんどん上がっていくのを感じました。15日に梅大で見る気のない北京の観客を見ていたので、特に天津の観客の熱気に、十数年前の北京の人民劇場を思い起こしました。いや、それ以上だったかな。スポーツ観戦でもしているかのような熱気だったのかもしれません。

ただその熱狂に反して、私の心まで張克の唱に熱狂したかというとそうではなく、何か物足りないものを感じました。 一口でいうと、張克のこの舞台は男気あふれる舞台(もっとも彼の生の舞台を見る機会はあまりないのですが)という感じがしたのですが、私からすると、何かが足りない。唱は、最初から最後までずっと100パーセント力が出ているのですが、緩急がないというか、弱いところが全くないのが、私にはかえってどうも一本調子に聞こえて、グンと来るものがなかった。けっして悪いわけではなく、于魁智のように歌を歌っているような感じでもなく、ちゃんと演じていて、喉の調子はこれまで見た京劇の中で一番良いものだと思ったのですが、どうも何かが足りない。以前の張克の空中劇院の録画を見ても、やはり喉の調子の良さだけしか印象になく、他に心に残るものが見当たらないことと共通しているように思えます。絶好調の張克は見るというよりも、聞く舞台でした。 声が良すぎて、芝居の内容にまで頭が回らなかったのは私だけなのでしょうか。

たとえば、張建国さんは喉の調子も若い頃ほどではないし、CDの唱も昔よりは低く唱っておられるのだけど、それでも若い頃の唱よりも今の唱の方に私が引かれるのは、きっとそこには喉の調子だけではない唱の良さ、味わいのようなものが加わっているからなのだと思います。舞台にしてもしょっちゅう「声が出てない~」と思うこともあるのですが、それでも強く引かれるのは、脚本に描かれる人物像に対する解釈に共感したり、演じる人物に魅力を感じるのです。 これはあくまで好みの問題で、張克のこの舞台と張建国さんの舞台では、多数の中国人は張克の方が良いというでしょう。私は二人の良さは二人の個性の違いだと思います。

[追記]今回の舞台で私が興奮したのは、張克の唱とその琴師の演奏が良い意味で争っていて、芝居が進むにつれて演奏もどんどん盛り上がって、とても聞き応えがあったことでした。俳優と琴師の実力が拮抗し、かつ相性が良くないとなかなかこういう演奏は聴けません。こういうところも天津の良さなのかもしれません。

次に、この公演の主役である李洋の舞台について。彼女はまだ若い武旦の女優さんで、私も名前を知らなかったのですが、武旦にしてはきれいな顔立ちで、舞台映えもしていました。ただ最初の白蛇伝は、まだ慣れていないのか、習ったことを習ったまま慎重にやっているという印象を持ちました。あとの『寿州救駕』(『女殺四門』)の方がのびのびとやっていたので、不思議に思いました。白蛇伝「盗仙草」は鎧をつけない立ち回りなのに対して、『寿州救駕』(『女殺四門』)の方が鎧をつけて立ち回りをする演目なので、素人目には『寿州救駕』(『女殺四門』)の方が難しいと思うのですが、慣れの問題なのかもしれません。まだ若いので、海外公演必須の演目『白蛇伝』はぜひもっと完成度を上げてマスターしてもらいたいと思います。 この他に、『寿州救駕』(『女殺四門』)で、ちょいやくなのですが、珍しい趙匡胤の紅臉が見られたので、うれしかったです。

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この公演は今日4月3日にCCTV11空中劇院で放送されます。

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2012年4月 1日 (日)

2012年3月15日北京梅蘭芳大戯院 京劇『卓文君』

3月15日 梅大 国家京劇院二団 「年軽的朋友来相会」
『卓文君』 第五期中国京劇優秀青年俳優研究生班 卒業公演
 張佳春の卓文君、包飛(北京京劇院)の司馬相如、徐孟珂の竹影(司馬相如の童子)、馬力の卓王孫 

 1月に実験劇場で上演をして、今回の公演に備えていた様子。見たことがない演目だったので、新作かと思っていたら、そうではなく、荀慧生が生前最後に創作した京劇だそうで、長年上演が絶えていたものを今回復活上演したらしい。ただ、当時の上演資料が少なく、今回新たに作り直したりした箇所もけっこうあるらしい。

 復活狂言といっても、卓文君と司馬相如の話は知っている人は多いはず。でも、だれも具体的な芝居の内容を知らないと言っても過言ではない。

話は卓文君の婚約者が急死したという知らせが入るところから始まり、司馬相如が卓文君の父に呼ばれて、琴を演奏するのを、卓文君が聞きつけて、という出会いになり、二人で家を出て、父へのみせつけに酒を売ることにした卓文君を、父親が人をやって酒屋を困らせようとしていたところに、司馬相如が官職につくことになり、二人の結婚を認めるようになった、という感じ。

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 張佳春は外見が美しく、舞台映えがします。この演目は唱が美しく、見ていても聞いていても、興味深かった。ただ、他の荀派のお芝居に比べると、演劇的な起伏に乏しい感があります(他の舞台が悲惨すぎるのですが)。どうなるのだろう、というハラハラ感がなかっただけに、ちょっと損をしているのかもしれません。また張佳春はこの舞台の唱を唱うので精一杯というところがあったようにも見えました。がんばっていたし、合格点には十分達していたと思いますが、今後何度か上演の機会があって、自身の代表作にまで高められると良いと思います。

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 張佳春の相手役に、わざわざ北京京劇院から包飛を呼んでいますが、だからといってそれが特別効果を出しているかというと、どうもそうでもないように見えました。昨年梅花賞を受賞した包飛は、国家京劇院の若手よりも実力のある小生であることは間違いありませんが、肝心の張佳春との相性がどうも良いように見えなかった。1月に共演しているわけであるから、全く慣れていないわけではないと思うのだが、司馬相如と卓文君のようには見えなかった。
唱うだけで精一杯という雰囲気もあった張佳春だから、息の合った恋人の雰囲気を舞台上で出そうという余裕はなかったのかもしれないが、個人的な相性ということもあるように思えた。

 脇役について。卓文君の父親の役をやっていた馬力と、その友人で司馬相如を推挙する役をやっていた李博の二人の若手の老生がずいぶん力をつけてきていると感じました。国家京劇院は、旦角の人材が豊富なのに比べて、若手の老生の人材不足が顕著で、北京京劇院等他の京劇団に大きく水をあけられているのですが、その中で、この二人は今後若手のホープとして期待できるのではないかと思いました。李維康の甥で、その夫君耿其昌の指導を受けているという李博は、去年辺りから主役の役をもらうようになっていましたが、馬力の方は昨年自分で作った劇団で京劇節に参加する等していた努力が実を結びかけているのか、うんと力をつけてきたように思います。二人とも今後が楽しみです。

 梅大はまたしても無料のチケットを多数配布している様子で、客席の質が悪い。また関係者がしていると思われる拍手やかけ声のタイミングが悪く、舞台上の芝居を助けていないように思われました。
 また毎度のことながら、芝居を見に来ているのではなく、しゃべりに来ているおばさん達がそばにいるといらいらする。今回は少し離れていたところだったので、まだ良かったが私の隣の女性はずっと携帯をいじっていて、最近はiphoneかスマートフォンかの明るい大きな画面なので、余計に目に邪魔になる。携帯をいじるなら外に行けと言いたいのだが、北京の劇場ではもう当たり前のことになっていて、誰も注意しないのが、悲しい現実。(中国では日本以上にスマートフォンの普及が早く進んでいて、iphoneが一般的になって来ています)

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2011年1月24日 (月)

山西省臨汾市蒲劇院小梅花蒲劇団公演

昨年の夏、山西省に行った時に、蒲劇という山西省の地方劇を見る機会がありました。
その後、中国語のブログに感想を書いたきり、こちらには書いていなかったと思います。

その公演では蒲劇の有名な場面を少しずつ演じる形式だったのですが、二十前後の若い俳優さん達が、素晴らしい技を見せてくれました。

特に最近京劇を見ていると、立ち回りの舞台で精彩を欠く場面が目立つようになりましたが、これは一人っ子政策のため、中国の俳優さん達が一人っ子世代になったことと、関係があるような気がしています。

この蒲劇院には、小さい時に子ども向けの「小梅花賞」を受賞した俳優さんが何人もいて、この時の公演もその小梅花賞受賞者の俳優さんが中心になっていました。

かれらの武功は目の覚めるような素晴らしいもので、複数での立ち回りは少なかったのですが、一人で技を見せる舞台が素晴らしかったです。激しい技を見せた後も途切れることなく歌を唱うところなど、今の若い京劇俳優には、真似のできないところでしょう。

日本にもこういう劇団が、本物の技を見せてくれる日が来るといいのですが。

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私は特に「掛画」が好きで、一度実際に見てみたい舞台だったので、それが見れてとてもうれしかったです。

 

写真などは中国語のブログの方を御覧下さい。

山西省临汾蒲剧院小梅花蒲剧团演出之一

http://blog.sina.com.cn/s/blog_4d7cb1b90100losj.html

临汾蒲剧院小梅花蒲剧院演出之二

http://blog.sina.com.cn/s/blog_4d7cb1b90100lotc.html

临汾蒲剧院小梅花蒲剧团演出之三

http://blog.sina.com.cn/s/blog_4d7cb1b90100lotz.html

临汾蒲剧院小梅花蒲剧团演出之四

http://blog.sina.com.cn/s/blog_4d7cb1b90100loud.html

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2010年9月12日 (日)

2010年7月18日京劇『楊家将』のCCTV放映動画

京劇『楊家将』の舞台中継の動画を集めました。すべて中国中央電視台CCTV11の公式HPにアップされている動画のリンクです。当然ですが放送はすべて中国語ですので、中国語の勉強にもなります(?)

このページを開くと、すべての動画がいきなり始まりますので、一度止めて(下のバーの三角の再生ボタンをクリックすれば止まります)、御覧になりたい動画から御覧下さい。



京劇『楊家将』放映前のインタビュー

張建国、鄧沐瑋のお二人がスタジオに出演されています。


京劇『楊家将』1-4


京劇『楊家将』2-4(張建国さんはここからの出演)


京劇『楊家将』3-4


京劇『楊家将』4-4

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